さて、いきなりですが、新井紀子著『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』に以下のようなRSTの問題が掲載されています。

 「アミラーゼという酵素はグルコースがつながってできたデンプンを分解するが同じグルコースからできていても、形が違うセルロースは分解できない」

 この短文を読んで、「セルロースは〇〇と形が違う」の〇〇には何が入るのかを選択肢から選びます。何人かの父兄に解いてもらいましたが、やはりほとんどの方が解けません。新聞社の論説委員から官僚まで間違えるのですから、致し方ありません。

 そこで、似たような構造の文章を私が作ってみました。

 「花子ちゃんという女の子は数字を計算するカルコロというゲームはできるが、同じように数字を使うゲームでも、ルールが違うアルゴはできない」

 「アルゴは〇〇とルールが違う」の〇〇に入るのは「カルコロ」ですね。これは低学年の子でも解けました。

 「アミラーゼという酵素はグルコースがつながってできたデンプンを分解するが、同じグルコースからできていても、形が違うセルロースは分解できない

「花子ちゃんという女の子は数字を計算するカルコロというゲームはできるが、同じように数字を使うゲームでも、ルールが違うアルゴはできない

 この2文は何が違うのか?一番大きな違いは読んでいる人の気持ちです。小学生も大人も「アミラーゼ」と読んだ時点で「難しい!」「読みたくない」という気持ちに支配されています。さらに追い討ちをかけるように、「酵素」「グルコース」と雲をつかむような言葉が続きます。この時点で、もう文章として読んでいるのではなく、字面を追っているだけになっているのでしょう。

 語彙が少ない子にとって、学校の先生の話のほとんどが「アミラーゼ」のような文章として耳に入ってきてるとしたら、どうでしょう。先生の話をしっかり聴く気になれない気持ちも分かります。イメージしやすい身近な言葉であれば誰でもわかるのです。しかし、知らないことを教えてもらうのが学校です。学校の先生は、1年生が知っているであろう言葉を使って、1年生が知らない事柄を教えてくれるのです。だからこそ、小学校に上がる前に、日本の小学生として最低限必要な語彙は身に付けさせてあげたいものです。

 そのためには毎日10分(送り迎えの時でいいです)、その日の出来事をしっかり会話することをおススメします。あと4か月あれば、随分変わります。「誰が」「何を」「どうした」を意識して会話してください。そうでないと会話として成り立ちません。