子どもが小さかった頃、「犬」が何かを教えるとき、どうやって教えたでしょうか。見たこともない動物を言葉だけで説明するのは至難の技です。だれもが本物の犬かぬいぐるみの犬などを指差して、「あれがいぬだよ」と教えたはずです。それでも、1回で理解できるわけではもちろんありません。猫を指差して「いぬ!」というかもしれません。少しずつ、「犬」を理解するのです。

 見えたり触れたりできるものは、目に見えず触れられないものに比べて教えるのは簡単です(教える側にとって簡単という意味です)。「痛み」はどうでしょう?もしも転んで怪我をしたことがなかったら、お腹が痛くなったりしたことがない子がいたら、教えるのはとても大変です。でも、だれだって転びます。そのときに、「大丈夫?痛いよね」と伝えるから少しずつ「痛い」という言葉の意味を理解するのです。

 それでは、「考える」はどうでしょう?「考えるってこういうことだよ」と教えてあげているでしょうか?そもそも「考える」を言葉で未就学児に説明できるでしょうか?私にはできません。しかし「考える」も上の2つの例と同じです。考えたときに「よく考えられたね」と褒めてあげるのです。それだけです。少しずつ考え方が分かってきます。本当に“少しずつ”です。見えないし、触れることもできないので、なにが「犬」なのか理解するよりもゆっくりと理解していきます。

 気をつけなければならないのは、「知っている」は「考える」ではないことです。知っていたから答えられたことを「よく考えたね」と褒めてしまうと、考えることは知ってることと間違えて教えてしまうことになりかねません。「よく知ってたね」と褒めてあげましょう。先生の話を聞いてしっていたのなら、「よく話を聞いていて偉いね」と褒めてあげましょう。先生の話を上手に聴けるようになります。