子どもたちに能力の差を感じることはありません。もちろん、「よくできるなあ」と思う子と、「出来ないことがまだ多いなあ」と思う子がいるのは確かです。しかし、それがもともと持って生まれた才能や能力に起因しているとは思えないのです。

 たとえば、英語のレッスンをやっているときのことです。しばらくの間、練習していなかったフレーズを久しぶりに言わせると、普段できる(ことが多い)子も言えないことが多いのです。逆に、出来ないことが多い子が言えたりすることもあります。英語の場合、勉強する場所が限られています。そのために、もともとの能力にあまり差がないことが分かりやすくなるのではないかと思っています。

 さて、これが日本語(漢字とか語彙)の話になると、「やっぱり、できる子とできない子がいる」という話になりがちです。確かに、学校で漢字を習うと1発で覚えられる子がいる一方、何回書いても覚えられない子がいます。宿題をやっている様子を見ると、みんなまじめにやっています。

 能力の差と言いたくなります。が、日本語の場合、四六時中、予習と復習ができます。いわゆる「頭がいい」と言われている子は、自分の目で見て、自分の耳で話を聞いています。そのため、学校で教えてもらう前に語彙を聞き覚えていて、漢字なら書けなくても読めるようになっています。つまり、予習が完了しています。そして、学校で教えてもらい身に付きます。しかも、学校で教わった後も、話を聞いたり読書したりして、語彙や漢字の復習をしています。だから、覚えるか忘れるかではなく、しっかりと身についていくのです。

 普段、パパママの話をしっかり聴けない子が、勉強のときだけ先生の話をしっかり聴けるということは想像しにくいですね。まずは、家庭の中でしっかり会話を重ねるところからすべてがスタートするのだと思います。 しっかりとした会話というのは、ルーティンではない会話です。