よく見聞きしている子は気づきがとても多いです。そして、気づいてしまえば、人間は自然に考えてしまいます。考える機会が増えれば賢くなります。

 風が吹けば桶屋が儲かる的な感じがしますが、私が実際に見ていて、よく見聞きしている子には「よく見てるなあ」「よくそんなこと気づいたなあ」と感心させられますし、こんなことに気づかれてしまうなんて私も気を付けなければととも思わせてくれます。

 逆に、自分の目と耳を使ってない子はみんなが行動を開始しても、取り残されていることが多いです。また、ちょっと注意力があれば気づけることに気づかずに見当違いなことをしてしまうこともあります。そんな子たちも、丁寧に状況を説明してから「どうしたらいいか考えてごらん」と伝えれば適切な行動をとることができます。自分で見聞きしていれば、私の助けを借りずに自分で考えて行動できるはずです。でも、私がすべてを整理してあげ「考えてごらん」と伝えてあげなければならないのです。

 これが、自分で見聞きしている子とそうでない子の大きな違いです。そして、前者は様々なことに自分で気づいてしまうので考える機会が増えていきます。後者は「考えてごらん」と言われたときにしか考える機会がありません。なので、「考えてごらん」と言われ必要以上に考え込み、見当違いのことをしてしまう場合もあります。

 初めからしっかりと考えられる人間はいません。適切に考えられるようになるためにも練習が必要です。(考える)練習が足りないのに、正確に考えられることを求めるのは酷というものです。

 我が子を考える子に育てたいのであれば「考えなさい」という必要はありません。しっかりと見聞きしていたときに「よく見ていたね!」「よく聞いていたね!」「よく気づいたね!」と褒めてあげるだけで十分です。よく見聞きしていれば気づいてしまいます。気づいてしまえば(気になるので)考えます。考える機会が増えれば、上手に考えられるようになります。

 これが、自分で見聞きしている子とそうでない子の大きな違いだです。そして、前者は様々なことに自分で気づいてしまうので考える機会が増えていきます。後者は「考えてごらん」と言われたときにしか考える機会がありません。なので、「考えてごらん」と言われ必要以上に考え込み、見当違いのことをしてしまう場合もあります。初めからしっかりと考えられる人間はいません。適切に考えられるようになるためにも練習が必要です。(考える)練習が足りないのに、正確に考えられることを求めるのは酷というものです。

 我が子を考える子に育てたいのであれば「考えなさい」という必要はありません。しっかりと見聞きしていたときに「よく見ていたね!」「よく聞いていたね!」「よく気づいたね!」と褒めてあげるだけで十分です。よく見聞きしていれば気づいてしまいます。気づいてしまえば(気になるので)考えます。考える機会が増えれば、上手に考えられるようになります。