改めて、大人にできることは待ってあげることしかないのかなと感じました。音読で読み間違えを頻発している子がいたのですが、間違えていることを指摘しても自分で間違えを探そうとはしませんでした。

 読み方を聞いているとすらすら読もうという意識は見えます。が、間違えていると指摘されても間違えを探そうという気配は見られませんでした。そもそもすらすら読むことにばかりを意識していて、内容を理解しようという意識が感じられないのです。

 まだ習っていない難しい漢字が読めないというのであれば仕方がありません。読めていないのは平仮名です。これまでにいろんな文章を読んできていますが、初めのうちは間違えを指摘してあげていました。が、徐々に指摘する頻度を減らしていきました。そうなると、今度はお父さんお母さんに教えてもらうわけです。が、それもなくなりました。この子はずっと同じように間違えていました。いつか誰かが教えてくれるのだと信じていたのでしょう。そこで、お父さんがいる前で一度説教をがっつりしました。すると、その後しばらくして自分で間違えに気づき、暗誦に成功しました。本人は初めて自力で出来たので本当に嬉しそうでした。

 私が嬉しかったのはその子が喜んでいたポイントとは少しずれます。私が何よりも嬉しかったのは、次の課題を何も言われてないのに丁寧に丁寧に読んでいたことです。読み方は下手だったけれど、読み間違えをしなかったことです。大人に頼らなくても「自分で間違えに気づける」と自信がついたのでしょう。いつもよりもゆっくり読んでいました。変だなと思ったら戻っていました。

 これで読解力がつくわけではありませんが、私が見ている限りにおいて、読解力がある子は読んでいてよく分からないと自発的に少し戻って読み直しています。読解力が未熟な子は決して止まりませんし、戻りません。読み終えることを目的にしているのです。そういった意味において、今後、この子が読解力をつけていく可能性はかなり高まったといえます。

 もちろん、「やりなさい」と言うだけで放っておいても自信を失うのを待つようなものなので、読解力をつけるためのマンツーマンのレッスンを始めました。やる気が出てきたこのタイミングがチャンスなのです。まだ紆余曲折はあるでしょうが、自力で文章が読めるようにしてあげたいです。

 写真は週末(2月初め)、娘を連れて見に行った白鳥です。秋の終わりに北風に乗ってシベリアからはるばるやってきました。もうしばらくすると春一番が吹くと思ますが、そのころに今度は南風に乗ってシベリアに帰っていきます。南から暖かい風が吹いてきたら、白鳥を思い出してくれるといいなと思っています。