分からないに気づけると出来るようになります。もちろん、すぐに出来るようになるわけではありません。そこを勘違いされると困ってしまいます。私が見ている限り、どうも「分からなければならない」と思いすぎて、結局分からないから、分かることを諦めている子が多いような気がしています。こういう子たちには、分からない言葉が出てきた瞬間に思考停止する傾向があります。

 読める(理解できる)子は、分からない言葉が出てきたときや、うまく理解できなかったときに、少し戻ってもう一度読み直します。分からない言葉が出てきたとしても、最後まで一度読んで「こういう事かな?」と推測をします。この推測をする場面で大切になるのが読解力です。こういう能力は絵本の読み聞かせをしているときに、しっかりと磨いておいてあげたいところです。

 さて、話を戻します。「分からない言葉を明確にする」と少しずつ分かるようになります。「分かりなさい」と言っていても「分からない」のでどんどん自信を喪失します。私が知る限り、読めない子たちはみんな最初は「分からない言葉が分からない。分からない言葉に気づくなんて、無理!」と言ってきます。でも、ここまで見てきて「分からない言葉に気づけない子」はいません。もちろん、最初は少しだけ苦労します。集中力が必要だからです。普段のようになんとなく読んでいても決して見つかりません。でも、私がすぐ隣で神経を集中して聞いていると、必ずできるようになります。声に出して読んでもらって、怪しい発音をしていたら、必ず確認をします。確認をした言葉を分かっていても問題ありません。「おぉ、その言葉はちゃんとわかってるんだね」と認めてあげればいいだけです。

 最初は「知らない言葉がある事」=「自分は出来ない」と勘違いしているので、なかなか「分からない」と申告しづらいようです。でも、分からない言葉があるのは当たり前です。「さすがにこの言葉は知っておいておくれ」と思うときもありますが、知らないのだから仕方がありません。それを叱ってしまっては、「分からない」と言えなくなります。ここが我慢のしどころです。

 こんなことを繰り返していると、少しずつ「〇〇ってなんか学校で聞いたことがあるんだけれど、×××って意味?」などと聞いてくるようになります。すぐに変わることはありません。そんなに簡単に変われるのであれば、とっくに自分でなんとできていたはずです。ただし、どこかで一気に飛躍することはあり得ます。

 そして、先日 “通り道だから車に乗っていきなさい” という文章を読んで、「分からない言葉はないけれど、意味が分からない」と言ってきてくれた子がいました。これはとても嬉しかったです。「分からない言葉がなくても意味が分からない」ということは、本人が本人なりに文章を読んでイメージをし始めた証拠だからです。イメージしていなければ、「分からない言葉がない」で止まってしまいます。マンツーマンで勉強をさせているときは必ず音読をさせています。そして、発音が正しくても、ちょっとわかりにくい文章の場合は、「イメージもちゃんとできてる?」と毎回のように確認しています。毎回確認されるので少しずつですが、イメージをする習慣がついてきたのでしょう。お父さんにこの話をお伝えしたら、「まだわからないのか?」と少し苦い顔をされました。でも、読んだものをイメージして分からないと言えたのは大きな前進だということを理由と共にお伝えしたら納得いただけたようです。

 この調子で頑張ってもらいたいです。こうやって、ときどき一気にレベルアップすることがあるので子供って面白いですね。

 写真はあしかがフラワーパークの藤の花です!