概数に苦しんでいた子がいました。何をやっているのかさっぱりわかっていないのです。学校の宿題は学年が上がると「これが出来たら十分理解しているよ」という問題が出される傾向があります。みんなが同じ宿題ではなく、もう少しレベル別に宿題を出してくれてもいいのかなと個人的には感じます。私立中学を目指している子は、学校の宿題ではなくて塾の宿題でいい、とかね。

 さて、その子が宿題をやっている様子を見て、どこでつまずいているのか、最初はさっぱり理解できませんでした。何が理解できていないのか分からない状態から教えることはできません。それでは一方的な押し付けになりますし、ゼロから一般的なことを伝えて理解できる子であれば学校の授業を聞いて理解しているはずです。なので、まずは診断するところから始めます。ここは医者と同じです。

 まずは何を理解していて、何を理解していないのかを私が理解するための問題を作って解かせました。出来はもちろん良くありませんでした。でも、出来ている問題もあるのです。全くのゼロではないことが分かりました。細かいことは省きますが、ザックリ言うと、桁数が小さいとできるのです。こういう傾向を教え手が把握することが大切です。実際に、クラスの人数を確認すると「だいたい〇人」と答えたり、学校の人数もだいたいの人数を言えるのです。であれば、処理的な部分に関しては出来ないはずがありません。身近になっている数字だとなんとなく分かっているのです。

 また問題を作りました。今度は、その子が問題を解きながら理解につながるように作りました。「終わった」と言って持ってきたときの出来はよくありません。何も教えていないので当たり前です。そこで、自信がない問題に赤い丸をつけさせました。「隣の問題と比べると分かりやすいよ」とアドバイスしました。しばらくうんうん唸りながら頑張って間違ってそうな問題に〇をつけて私のところへ持ってきました。これまた不十分でした。なので、「左右の問題だけじゃなくて、上下の問題も比べてごらん」と伝えました。今度はかなり自分の間違えを洗い出すことが出来ていました。そして、間違えた答えは消さずにそのままにして、正しいと思う答えを赤い字で書くように伝えました。今度はほぼほぼ出来ていました!

 基本的に私は教えることなく終わりました。本人が考えてくれたからです。どんなに教え手が一生懸命教えようと、学び手が考えてくれない事には前には一歩も進みません。逆に、問題を解かせるだけでも、学び手が考えてくれれば理解が進むのです。自分が日常生活で出来ていることを、学校の勉強レベルまで引き延ばすことが無事に出来たのです。ほとんどの問題で正しい答えを出せました。概数は桁が大きくなっても、やるべきことは同じです。どこで四捨五入をするのかが違う程度です。でも、たくさんの数字が並んでいると頭が真っ白になってしまい、変なことをしだすのです。一気に答えを出そうとするのではなく、一つ一つやるべきことをやる。これしかできないのです。そして、それを積み重ねていると、パッと出来るようになるのです。

 勉強をしている様子を見ていると間違えていたからといって、なかったことにするかのようにすぐに消す子がいますが、これはよくありません。自分の間違いはヒントになります。そして、自分の間違いの傾向も分かります。消してしまうと、考えるための手がかりすらなくなってしまうのです。

 ※江戸川区にはあまり柿の木がありませんが、ちょっとドライブするとこの時期は柿の木だらけですね。