これまでに頑張ってきたことが少しずつ成果になって表れ出している子がいます。まだ、気になる点はあるのだけど、そんなのは当たり前です。小学校低学年だから出来ないこと、知らないことがあるのは当たり前なのです。大切なことは、目をそらさずに一つ一つクリアしていくこと。そして何よりも、一つ一つ自分の意思で出来るようにしていく習慣を身に付けることが大切だと信じています。

 さて、その子に学校での出来事を聞くと、根本的なことがよく分からないので確認のための質問をします。すると、その一つの質問に対して、答えが返ってくるのに10分15分かかってしまう。たぶん、これまでは、ちょっと言えばいろんなことを周りの大人が汲んでくれたのだと思います。だからこそ、私に「もう少し教えて」と言われて、悔しくもあったと思います。「この人も大人なんだから分かっているはずなのに・・・」と思ったこともあるでしょう。確かに、なんとなくは分かります。でも、私は「その子の言葉を通して知りたい」のです。そして、私にちゃんと伝えられないのであれば、大人は分かってくれてもほとんどの友達には伝わりません。友達は分かってはくれないのです。

 そんな苦労をしていた子が、最近、いろいろな場面で成長を感じさせてくれています。私が「あの子たちなんて言ってたの?」と確認すると、「ああ、そういうことね」と感じられるレベルで説明出来ることが増えてきたのです。もちろん、そんなときはすかさず「お話が上手になってきたね」と褒めています。

 どんな状況だったか私が把握していても、説明を求めることがあります。別に意地悪ではありません。その状況をどの程度説明できるのか確認しておく必要があるのです。子どもにとっては説明する練習にもなります。そして、的確に説明できていれば、褒めてあげるチャンスになりますし、これまでよりも上手に説明できるようになっていれば、それもまた褒めてやるチャンスになります。

 そして、今週、もっと嬉しいことがありました。雨が降っていない日に、「ねえ、なんで傘を持ってるんだと思う?」と私に謎かけをしてきたのです。こういった謎かけをスルーをしてはいけません。子どもは、大人にとってはどうでもいいことを大人の事情を考えずにぶつけてきます。でも、こういった謎かけは言葉遊びでもあり、言葉を使うことを前向きにとらえ始めてきた証拠だと感じています。

 家ではこういった謎かけはまだあまりないそうです。実は「なんでだと思う?」「どうしてだと思う?」は私が毎日イヤって程、子どもたちに投げかけています。それを真似してくれたのかもしれません。前回の記事の「質問をされる子」は「質問をする」ようになると同じ展開とも言えますね。

 上手に言葉を扱える子は、上手に考えることが出来ます。考えるための第一歩を踏み出したのかもしれません。この小さくて元気な芽を、その子の両親と一緒に大切に立派な大木へと成長させていきたいです。そして、この芽が出てきたのは、その子のお父さんお母さんが私の苦言を受け入れて、一緒に頑張ってくれているからにほかなりません。