今年の1年生は本当によく英語を(も)頑張ってくれています。英語も日本語と同じように話すための言語なのですから、覚えているだけで応用が利かなければ意味がありません。もちろん、覚えることも大切ですが、単に覚えているだけでは「これ以上は覚えられない」というポイントがすぐに来てしまいます。だから、大切なのは思考を挟みながら身に付けていくことです。常に「これはあれと似ている」などとリンクさせていくことです。バラバラに覚えてはいけません。

① ”Where do you go?” → ”Where did you go?”

② ”Do you go to school?” → ”Did you go to school?”

上記のように現在形を過去形に出来る子が、”Do you have lunch?”を”Did you have lunch?”へと変換することが出来ない事がありました。もう一度、①と②をやらせるとやっぱりちゃんと変換出来るのですが、”Did you have lunch?”は出てきませんでした。ぜいたくを言えば、もう一度①と②をやったときに、自分で気づいてもらいたかったのですが、それはかないませんでした。なので、②をやり終えた直後に「なんで、そういう風にやったの?」と確認してあげました。すると、しっかりと言語化した答えが返ってきました。すると、”Do you have lunch?”を”Did you have lunch?”への変換も私が思っていた通り、ちゃんと出来るんですね。本人も嬉しそうでしたが、私も嬉しかったです。「自分で出来た」を見るのは本当にうれしいものです。

 なんとなく出来ていても、出来ていることにはなるのですが、言語化できると応用の範囲が広がります。言語化する過程で、思考が挟まれるためなのでしょう。覚えただけのレベルから一つ成長出来るのでしょう。他者へ教えることを通して自分の理解が深まるのも、言語化という思考が挟まれるからなのでしょう。他者へ伝えるためには、なんとなくでは正確には伝わりませんからね。

 言語化することにより答えが分かるというのは、英語ではなく漢字でも起こりえます。漢字を間違えた場合は、私はすぐに正しい答えを教えません。その理由は、漢字が書けないときは言葉の意味が分かってないこと(意味を考えてすらいないこと)が多いのです。すぐに答えを教えてしまっては、せっかくの思考訓練のチャンスが失われます。「かく数」の「画」を書けない子がいたときに、「画数って何だっけ?」と確認すると、ちょっと間があった後、画数の意味を答えてくれました。すると、「あっ、思い出した!」と言って、自分で漢字を書けた子がいました。「かく数」を読んだときに、「漢字の画数」が思い浮かばなかったのでしょう。「か・く・す・う?」となってしまったのだと思います。

 「あくしゅ」の「しゅ」を間違えていた子に対して、お母さんが私と同じように「握手って何だっけ?」と訊いたら、お母さんに「握手って・・・」と説明している間に、「しゅ」は「手」だと分かったという事例もあります。思考させる質問を投げかけることによって、子どもが親の手を借りずに自分で漢字を書けて喜ぶ姿を見るというのは、子供以上に親にとってうれしい体験のはずです。いつも子供の手を取って、懇切丁寧に教えてあげる必要はないのです。親が子供に思考をさせる習慣を持てば、子供が思考する習慣を持つのも時間の問題でしょう。

 子どもを考えられる子にしたければ、たくさん言語化する機会をたくさんあたえてあげればいいのです。ただし、すぐにちゃんと考えられることを望むのは酷です。初めから上手くいくのは稀です。考え始めたばかりの頃は、うまく言語化出来ないことも、トンチンカンなことを言ったりすることもあるでしょう。でも、考えた痕跡があるのであれば、その努力やチャレンジを褒めてあげましょう。生まれてきてすぐに歩ける子供はいません。なんでも少しずつしか上達しません。