間違えられるのはとても良いことです。同じ間違えを繰り返していては仕方がありませんが、たくさん間違えて失敗している人だけが成功に辿り着けます。発明王エジソンも電球を作るまでに1万回失敗をしたと言われています。

 それでは、子どもたちはどうでしょう。失敗を恐れている子供たちはとても多いです。ドリルなど、答えが一つしかないものに取り組むことが多くなっているからなのかもしれません。遊びの中で、「虫食い文章パズル」などをやらせてもなかなか間違えられない子がいます。たくさん間違えている子たちが、結果的により多く正答しています。私は「どんどん間違えな、AかなBかなCかな?って考えているんだったら、一つ一つ答えを言っていけばいい。間違えたら、違ったということが分かるんだよ。間違えたって一つも損はしないよ」と繰り返しています。遊びを見ていても、失敗できる(チャレンジできる)子は本当に強いです。

 さて、ほかの子たちが帰った後、勉強を教えている子がいます。「同じ色の靴を買った」を1回で読むことができず、最後にもう一度復習をしたときのことです。「靴」がどうしても読めないようでした。当たり前です、小学校の間には習わないのですから!でも、私はその子に間違えてほしいのです。いい意味で間違えることに慣れてもらいたいのです。知らないから分からないではなく、考えてほしいのです。想像力を使ってもらいたいのです。すでにお父さんがお迎えにいらしていて、後ろでご覧になっていましたが、「やっぱり出来なかった」で終わらせたくないのでそのまま進めました。「この漢字は小学生が習う漢字ではないから読めなくても恥ずかしいことは一つもないよ。だから、間違えなさい」と伝えました。が、本人が「無理」とあきらめているので何も出てきません。

 そこで、ゲーム(小学校低学年の勉強なんてほぼすべてゲームなのです!)のルールを少し変えました。「同じ色の〇〇を買った」の〇〇に言葉を入れる“ゲーム”にしたのです。それでも、何も出てきません。この子に能力がないのではありません。「正しい答えを出せない」と思い、考えるのをあきらめているから何も出てこないのです。「1つしかない答えを出さなければ!」と思って、自分でハードルを上げているのです。この子がハードルを下げようとしないなら、私がハードルを下げてあげなければなりません。だから、私は「よし、1つだと難しいよね。なら、10個頑張ろう」と再びゲームのルールを変えました。きっとお父さんは「1つで無理なのに、10個なんてできっこない」と思っていたと思います。

 でも、10個ならできるのです。1つだと正しい答えを求めてしまいますが、10個出すとなると合っているかどうかを気にしている余裕はなくなり、答えを出すことに集中できるのです。実際、ぽつぽつと答えが出始めました。5つ目で「くつ」が出ました!が、そこでまた勢いが止まってしまったので、「よし、じゃあ、1分以内に次の1つが出なかったら10個追加ね」と伝えました。もうこうなると、逃げることを考える余裕もなくなります。ちゃんと10個出し切りました。

 かなり時間がかかったのと「自分は出来るんだ」と思わせる目標を達成したので、「よく頑張ったから、今日はおしまいね」と伝えると、「まだやる」と言い出しました。自分で頭をひねって答えを出せれば、楽しいと感じられるものなのです。無味乾燥なものを無理やり覚えさせられて、それを単に答えても楽しいことは一つもありません。それどころか、答えはあっていても意味が分かってないこともたくさんあります。

 たくさんの答えを考え出す練習のほうが楽しめますし、賢くなれる気がします。特に難しいことではありません。子どもがやりたいと言ってきたときに、なんでも子どもにやらせてあげればいいのです。「やりたい」と言い出した場合、たいてい子どもたちはいろいろと試行錯誤を重ねて頑張れます。われわれ大人は小さなエジソンを見守っていればいいのです。

 お父さんにも私がお世辞で「やればできる」と言っているのではないことが少しは伝わったのではないかなと思います。本当にできるのです。ただし、「やればできる」と伝えても、出来るまで待ってあげなければ、「やればできる」という言葉がどんどん色あせていきます。「やればできる」と子どもに伝えてしまったら、言った本人も覚悟を決めて本当の意味で「出来た!」と思わせてあげなければなりません。大人に覚悟がなければ、子どもにも「やってやる!」という覚悟がないのは当たり前です。