小学校低学年で自分を客観視できる子が少ないのは当たり前だと思います。だからといって、全く自分のことを客観視できなくていいのかというと、それはそれで本人が苦労してしまうのでかわいそうだと思います。だからこそ、身近にいる大人が客観的に評価をしてあげる必要があるのです。実は、客観的で正確な評価を嫌がっているのは子どもではなく、親の方ではないかと感じることがあります。今「出来る」「出来ない」があるのは仕方がありません。仮に小学校低学年の時点ですごく出来ていても、あまり意味はありません。この先も成長していかなければならないのは、いま出来ることが多い子も少ない子も同じです。出来るようになっていくプロセスを親子で喜べることが大切だと思います。そのためには、現状をしっかりと認識する必要があります。そして、子どもが客観視できるはずもないのですから、親が客観視してあげるしかないのです。これは、いま出来ることが多い子の親にとっても、いま出来ることがまだ少ない子の親にとっても大切なことだと思います。

 子供は親が思っているよりも強いです。特に親が受け入れてくれている限り、前に向かって進んでいけるようです。ゲームをやっていて全然上達しないから(あるいはいつも負けるから)、つまらなくてやめるというのはよくあることだと思うけれど、今回のスコアが悪かったからやめるということはとても少ないように思います。「今回は〇点だったから、次はもうちょっといい点をめざそう!」という風にモチベーションに変換していくように思います。ゲームが「本当はもっといい点だったよ!」なんてことは言ってくれないわけです。それでも、ゲームをやっている子たちはもう少し上達しようとのめりこんでいくわけです。ゲームの点数に関して、親は我が子の能力とは関係がないと思い、子どものスコアに対する期待値が低いどころか気にもしていないはずです。ゲームのスコアが低いかといって、子どもを叱る親はあまりいないですよね・・・。

 学校のテストの結果もゲームと似たようなものです。その子の能力とはあまり関係がありません。もちろん、現状を反映している部分はあると思います。しかし、その子の将来とはあまり関係がないはずです。にもかかわらず、そのテストの結果によって、能力が高いか低いかを決めたがる傾向があるように思います。ゲームをしているときにはなかった「期待」が、学校の勉強においてはどうしてもついて回ります。現状、ある子が何もしないで受けたら50点しか取れないテストを、その子の努力により10点上乗せして60点に上がったとしても、親の期待が90点であれば、子どもは喜ぶことができません。親が喜んでくれないことを子どもは素直に喜べません。そして、不幸なことに、小学校低学年のテストに関して、親の期待値は90点(?)以上なのではないでしょうか。親が子供の能力を客観視してさえいれば、50点しか取れないはずのテストで60点を取れれば、一緒に努力をたたえてあげることができます。まさにゲームと同じで、上達した部分を本人が素直に喜ぶことができます。そして、それが次の頑張りにつながるはずです。

 つまり、テストの点数が大切なのではなく、何がどの程度できるのかをなるべく正確に把握してあげることが大切だということです。「何が」は勉強だけではありませんし、低学年の子であれば普段の生活のほうが大切だと思っています。まずは親が言葉で指示を出して、その指示通りに出来ることが大切です。そうすれば、学校で先生の指示を理解して行動に移せることでしょう。先生の話(指示)を聞いて理解できるのであれば、小学校低学年の勉強はまったく問題ないはずです。しかし、みんなが理解できる先生の指示が分からないようだと、学年が上がるにつれて授業内容を理解していくことは厳しくなっていきます。

 「言葉を理解して行動に移す」ことが出来るか出来ないかは、ひとえに家庭での生活にかかってきます。簡単に手を出して手伝ってしまうのではなく、丸一日、言葉のやりとりだけで過ごしてみるというのも、ゲーム感覚でできればなかなか楽しいかもしれませんね。子供がテレビのリモコンを探していることに気がついて、リモコンがどこにあるかも一瞬で分かってしまっても、我慢して助けを求めてくるまで放っておく。助けを求めてきても、手を出すのではなく言葉だけで指示を出す。お正月休みに言葉力を鍛錬してみてはいかがですか?

(お正月前にFBページにアップした内容です)