今週(夏休み第3週)もよく遊びました。お出かけから帰ってくるときの電車やバスの中はいつもみんなぐっすりです。

 が、今週の一番の出来事は、「図書館に行くよ!」と伝えると、「えー」と言って明らかに行きたくなさそうな顔をしていた二人に「本は楽しい」ということを教えてあげられたことです。

 絵本を数ページ読むのに、何十分もかけて丁寧に読ませました。もちろん、声に出して読んでもらいます。読み間違えをしていたら、すぐに教えてしまうのではなく、気づくまで根気強く何度も読んでもらいました。「もう1回」「うん、もう1回」「ちょっと良くなったよ、もう1回」「さっきの方がよかったよ、もう1回」「少し考えて読んでごらん」。そんなことを繰り返していると、「あー!」と言って気づいてくれます。ようやく、理解をして読んでいることが分かるように読めました。そして、「ちゃんと読めたじゃん!」と一言褒めます。本人が一番喜んでいるので私が必要以上に褒める必要はありません。

 絵本なので読むだけでなく絵を見ることも大切です。「だるまちゃんは何に気づいたんだろうね?よく絵を見てごらん?」「見ただけじゃわからないなら、前のページからもう1回丁寧に読んでみよう!」ということを根気強く繰り返しました。最初は、何をどうヒントにすればいいのか見当もつかなかったようでした。頑張っていてもこれでは埒が明かないと判断して、絵の見方などを教えました。すると、次のページからは自分で「だるまちゃんが何に気づいたのか」を気づけるようになりました。一言教えて、応用が利くというのは、その子が頑張っていた証拠です。

 絵本はよく見てよく読めば分かるようになって作られています。本人は初めて絵本を楽しいと感じられたらしいです。家に帰って本人が親に「図書館に行きたい!」とも言ったらしいです。嬉しいですね。

 さて、もう一人の子は4年目にして、ついに「楽しさ」に気づいてしまったようです(もちろん、まだ油断はできません)。この子は去年、自分の目の前で同級生がわずか1時間で本の楽しさに気づいたのを目撃していて、本人も「続きたい」と思って頑張っていました。でも、楽しさがさっぱり分からないという悔しい思いをしていました。

 ですが、今週、この子も初めて一人で読んで楽しいと感じられたようです。そして、日記に「“なんで?”や“どうしてだろう?”と考えさせてくれたから、絵本を読めるようになった」と書いてくれていました。「家で読むときもそのことを忘れずに読もう!」とも書いていました。その日、私は1年生の男子にかかりっきりでほとんど対応していないのです。「この言葉が分からない」と言ってきたときも、「ほかに分からない言葉はないの?ないなら、分かると思うから頑張って」ぐらいです。アドバイスといえるようなものではありません。

 それでも、すぐ近くで1年生の子が去年まで自分がしてもらっていたように教えられているのを見聞きして、間接的に、その子にも伝わっていたのだと思います。実際、私は1年生の子に「なんでだと思う?」「どうしてだろうね?」と繰り返し聞いていました。直接言われていなくても読めるようになったのだから、家でも必ず一人で読めるはずです。分からないところが「どういうことだろう?」と考えるチャンスです。継続してもらいたいです。

 さて、今週、みんなで訪問した日本科学未来館には、ノーベル賞を受賞した人たちの言葉がたくさん飾ってありました。「なぜだと問うのはなぜだろう?不思議に思う心を育もう」「不思議に思う心を忘れていませんか?」などなどです。絵本にもたくさんの不思議やなぜだろうがあります。絵本や本を通してたくさんの「なぜだろう」を育んでもらいたいです。