覚えられないのを記憶力のなさに求めてはいけない。自分や家族の誕生日が覚えられる記憶力があれば、記憶能力が極端に劣っているとはいえない。少なくとも私は、「記憶能力に劣っているな」と決め付けることはしません。

 しかし、勉強や普段の生活を観察していると、記憶能力は劣っていないのに、覚えるのが苦手な子はいます。これは事実です。たとえば、どこかにお出かけしたときに、ロッカーの暗証番号を忘れる子がいます。4桁の暗証番号は自分で忘れにくい番号にすれば良いわけです。それなのに、適当な番号にして、自分の首を自分で絞めてしまう。何が足りないのか、足りないのは記憶能力ではありません。足りないのは工夫です。日常生活を生きるためのコツを知らないのです。一生懸命にドアを引いて開けようとしても開かない。その様子を見て「引いてダメなら押してみな」と言われて、やって見たら簡単にドアが開く、というような生きるためのコツです。

 しっかりしている子たちだって、ランダムな数字を覚えなさいと言われたら、覚えておくことは困難です。大人だって難しい。なぜしっかりしている子たちが同じミスをしないのか?理由は簡単です。失敗をしないために思考を挟むからです。もしかしたら二度と失敗をしたくないと思った経験があるのかもしれません。彼ら彼女たちは4桁の暗証番号を自分の誕生日にしたり、今日の日付にしたりするのです。

 本当にちょっとした違いです。しかし、この小さな差が積もっていくと、大きな差になるのです。普段からこういう工夫をしている子たちは、勉強のときにも羅列で覚えるのではなく、思考を挟んで工夫しています。初見の知識(語彙)を自分の既存の知識(語彙)にくっつけて覚えたり、当たり前のように工夫をしています。だから、記憶能力に優れているように周りから見られます。そして、周りから「あの子は勉強が得意でしっかりしている」と思われることになります。結果として、本人も自信をつけてゆくのです。

 覚えさせるのではなく、覚え方を教えてあげる。教えてあげると言っても、教え込むのではありません(覚えさせると勉強になってしまい、やる気を失うことが多いです・・・)。普段の会話の中に潜ませるのです。何か番号を選ぶ機会があったら、「ラッキーセブンの7にしようと思ったけれど、空いてなかったから誕生日の26にしておいた。あなたはなんでその番号を選んだの?」などです。単なる数字に意味を与える姿勢を見せてあげるのです。そして、もう一歩進んで、「“アマガエル”の“アマ”って、“天の川”の“アマ”かな?“雨宿り”の“アマ”かな?“甘い”の“アマ”かな?」などと一緒に考える練習をずっとしてあげていると、漢字が少しずつ得意になります。高学年くらいになると子供の方から問題を出してくるようになると思います。

 思考習慣を身につけさせるには時間がとてもかかりますが、思考習慣が身に付いてしまえば、机にしがみついて勉強する時間を大幅に減らしてあげることができます。