一昨日はトランポリン、昨日は水遊びをしてきました。連日でよく遊んでいます。こんなに徹底的に遊ばせてあげられるのは、長期休暇だけですね。遊びに思いっきり没頭してもらいたいと思っています。

 子どもたちの遊んでいる様子を見て、幼少期の没頭体験が大切だと言われていることがなんとなく分かってきました。別に理由なんてわかる必要はないのかもしれません。でも、参考になるかもしれないので、私が感じた理由をシェアしておきます。

 「没頭する」「集中する」ということは言葉だけで教えることができません。だから、「没頭しなさい」「集中しなさい」と子どもに言っても子どもはどうすればいいのか分かりません。没頭(集中)を実際に体験したことがあるということが大切なのです。理解することもこの流れで同じです。100%理解しているときに、「よく分かっているね」と伝えることで正しく「理解」を理解するのです。ろくに話も聞かず、不十分な理解の状態で「よく分かってるね」と伝えてしまうと、それがその子の「分かった(理解)」になってしまうのです。

 目に見えないことは他人が言葉で教えてやることはなかなか難しいのです。幼少期の没頭体験が大切だと言われているのも、この流れにあるのだと理解しています。言葉だけで教えることができないのです。夢中になって何かに取り組んでいる(没頭している)とき、集中することを経験し、理解することや理解の仕方、気づき方などを学んでいるのだと思います。そういう経験があるからこそ、大きくなって勉強や仕事をするときに、集中のオンオフを切り替えることができるのかもしれません。

 没頭したり、集中したりしたことがない人が、どうやって勉強や仕事にだけ集中できるのでしょうか。だから、幼少期の没頭体験が大切だと言われているのだと思います。実際、しっかり遊べている子は、勉強もしっかりできています。

 子供時代の没頭体験はとても大切だと年々強く感じています。子供なら誰でも没頭することができます。1時間でも2時間でも、です。その機会を与えるのは大人ですし、奪うのも大人です。没頭し始める前に、「もう帰るよ」と言われてしまったら、子どもたちはいつまで経っても没頭を体験することができません。虫取りでも魚とりでも何でも構わないと思います。この夏は子どもが飽きるまで付き合ってあげてください。