言葉を覚える近道は座学ではなく、五感を(なるべく)フルに使うことだと思います。以前、何度「書店」という言葉を教えてもすぐに忘れてしまう子がいました。最終的には、帰りがけに書店に立ち寄り本を買ってもらうことにより、ピタッとハマることがありました。ようするに、「し・ょ・て・ん」はお勉強であり、自分とは関係のない他人事だったのです。

 子供は自分の経験を基にして言葉を増やしているのだと感じることがそれ以外にもあります。「(1年生なのに)よくそんな言葉を知っているな」と感じたときに、「そんな難しい言葉をどうして知ってるの?」と思わず確認することがあります。すると、教えてくれた人や状況を説明してくれます。言葉と状況をセットにして覚えていることが多いのでしょう。「〇〇ちゃんが、いつも使っていたから」というふうに教えてくれることもあります。「あの言葉は何だろう?」と疑問に感じていた言葉が分かった喜びの瞬間だからこそ、記憶に残るのでしょう。嬉しいからこそ、はっきりと「だれに」「どんなふうに」教えてもらったのかまで説明ができるのだと思います。

 逆に、学年が上がるにつれて、どういう状況で教えてもらったということを言わなくなる傾向がある気もします(単に私がそういう確認をしなくなるだけかもしれません)。実際の経験を伴わずに、言葉を使って理解しなければならない難しい言葉が増えていくからかもしれません。あるいは、特定の場所で特定の人から教わっているので、それぞれの言葉に対する印象が似たものになってしまうのかもしれません。新しい言葉をいつもの教室でいつもの先生から教わっていたら、教えてもらった状況についての印象が薄まるのは必然ですね。

 学年が上がるにつれて、経験と言葉を直結させることが難しくなるのは仕方がないことです。たとえば、都道府県名を教えるために、すべての都道府県を旅行するのは無理があります。でも、東京都に住んでいたら、その他の関東各県に行く機会はあるはずです。また、旅先でその地域の特産品を食べたりすることは大人にとっても楽しみなはずです。そうした経験を共有し、言語化しておいてあげることが大切なのだと思います。少しでもわが子の印象に残るように工夫をすることは可能なはずです。旅行は「楽しい」ことが第一ですが、せっかくなのでもう一歩踏み込みましょう。そうしておいてあげることで、学校で勉強をしたときに「あっ、これ知ってるかも」が増えて、勉強に少し興味を持てるはずです。もちろん、結果を期待し過ぎてはいけません。プロセス(旅行を楽しむ)が大切です。

 我が家は、先日、岐阜へ旅行へ行ってきたのですが、あえて中山道を通って馬籠宿へ立ち寄りました。「木曽路はすべて山の中であった」という言葉が書いてある案内板を見て、藤崎藤村の『夜明け前』の冒頭部分をトゥモローで暗誦していた娘は「あれ?これ知ってる」みたいな反応をして興味を示してくれました。また、岐阜城はロープウエイを使わずに金華山を大粒の汗を流しながら登りました。ちょっとした登山でしたが、実際に自分たちの足を使ったことにより「あんなに高い山の上にある天守閣に男である織田信長はまだしも濃姫たち女性はどうやって登ったんだろうね?」みたいな疑問もわいてきました。岐阜城は忘れられない経験になったはずです。子どもといろんな経験をして話をしましょう。子供と共有できる時間は限られています!