身体を動かす練習は目で見て確認できます。でも、思考は目で見ることができません。隣に座っている人の思考を目で見ることは出来ません。パパママが体を使って試行(錯誤)してくれれば目に見えますが、思考しているプロセスは子どもには見えません。最近は右手にスマートフォンを持っているので、指を少し動かせばたちどころに答えが手に入ってしまうので、なおさら思考(試行)している姿を目に出来ないのかもしれません。

 そういったことが影響しているのか分かりませんが、考えようとしない子が増えている気がしています。考えようとしないというよりは、じっとしていたら解決すると信じている子が増えてきている気がしています。隣の子も自分と同じようにじっとしているのに答えが出る。だから自分も何もしなくて答えが出る、そう信じて、答えが空から落ちてくるのを待っているかのようです。

 これが一番顕著に出てくるのが読書のように感じています。これまで何人もの子供を見てきていますが、読める子は「あれ?」と思ったら、もう一度読み直すのです。でも、読めない子たちは決して戻りません。そのまま読み進めるのです。読み進めれば分かると思っているのです。傍から見ていると本を読める子たちは戻っていないように見えてしまいますからね。

 今週、午前中から来た子がいたので、絵本の読み方を教えてあげる機会がもてました。教えるといっても、私は手取り足取りは教えません。分かっていない箇所に私が気づいてやり、繰り返し読ませてあげるのです。自分で一生懸命読んで自力で分かるのであれば、私が手を出さない方が達成感を感じられるからです。私が教えて過ぎて「分かった!」という達成感を奪いたくないからです。今回の子も最初は何度読んでも分からなかったようです。

 そこで「こう書いてあるから、こうしたかったって考えられるんじゃない?」「この絵のここを見たら、こういう事じゃないかってわかるんじゃない?」ということを教えました。「もくもくと・・・」もそうです。絵を見ながら読めばなんとなくわかるのではないかと思うのですが、なかなか分かってくれませんでした。そこで「楽しいってことかな?」「悲しいってことかな?」「つまらないってことかな?」と一つ一つ確認していきました。この3つに対しては「違う」とほぼほぼ即答できていました。つぎに「一生懸命ってことかな?」と確認すると、それまでとは違って答えが出るまで時間がかかりました。もちろん、その子が答えるまで待ちます。待っていると「そうかも」と言ってくれました。褒めてあげた後、「〇〇ちゃんとか、何もしないで何でも分かると思っているよね?でも、あの子たちも頭の中でこういうことをやっているんだよ。だから、あの子たちはよく間違えているでしょ?今、分かって嬉しかったよね。考えるってこんなに楽しいことなんだよ」と伝えました。

 こんなやり取りがあって、少しコツを掴んでくれたのか、私が「天窓って何?」と訊くと、説明をしてくれました。「初めから知ってたの?」と確認すると「ううん、絵を見たらわかった」と嬉しそうに教えてくれました。最近、いろんなことに前向きに取り組み始めてくれているタイミングだったので、これをきっかけにさらに成長が加速してくれると期待しています。